松山 吉三郎(まつやまきちさぶろう、1917年2月2日 - )は、元騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、元調教師(国営競馬、日本中央競馬会(JRA))。JRA調教師顕彰者。1929年東京都目黒区油面尋常小学校卒業。鹿児島県隼人町出身。妹はバレエダンサーの松山樹子。父の松山徳茂はJRAの元調教師。息子の松山康久はJRAの調教師(ミスターシービーやジェニュインを管理)。
実家はもとは農家であったが、父・徳茂が上京し東京競馬場・尾形藤吉厩舎の厩務員となったため、東京へ移り住んだ。
1929年、尾形藤吉厩舎の見習騎手となる。尾形の指示により1933年まで千葉県の若草牧場で牧夫として働き、1934年に騎手免許を取得。1935年4月2日、レイロウで初騎乗、1936年3月28日、アカイシタケで初勝利。しかし大久保亀吉、保田隆芳ら名騎手を数多く抱えていた尾形厩舎の中にあって騎乗機会に恵まれず、また肺結核を患ったこともあって騎手としては目が出ず、専ら尾形のもとで厩舎の実務を取り仕切る現場責任者の役割を果たした。
松山吉三郎の詳細